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人工知能の言語的成立過程について

前回の記事で、「AIの勉強を始めます」と宣言をしたが、いくつか動画を見て、無料アプリで問題を解いてみたものの、
専門用語が多いため、まだピンとこない部分が多い。

また書籍については、図書館で本を借りて読み始めた。G検定の問題を解くということは、AIの概念、歴史、関係する人物名、最も重要なことは、社会的にどのように利用され、今後どうなっていくのか、という情報を理解することである。

そのために、まず言語的背景を考察し、人工知能とは何か?ということを深堀して考えてみたい。

1章 そもそも、知能とは?

「知能」という言葉を10の言語で見てみた。

言語単語発音(カタカナ目安)
英語intelligenceインテリジェンス
ラテン語intelligentiaインテリゲンティア
ギリシャ語νοημοσύνη (noimosýni)ノイモスィニ
イタリア語intelligenzaインテリジェンツァ
ポルトガル語inteligênciaインテリジェンシア
フランス語intelligenceアンテリジャンス
スペイン語inteligenciaインテリヘンシア
ドイツ語Intelligenzインテリゲンツ
ロシア語интеллект (intellekt)インテレクト
中国語 (簡体字)智能 (zhìnéng) / 智慧 (zhìhuì)ジーノン / ジーホゥイ

こうしてみると、頭にインテリという言葉が多いことがわかる。
つまり、西洋ではインテリといえば大体通じるということだ。

面白いのは、中国だ。智能、ジーノンという発音らしく、日本語の知能、チノウと非常に似ている。
これは日本が古代から中国の漢字文化を深く取り入れてきた歴史的経緯によるものだろう。

上記から、西洋ではインテリ、東洋では知能、という言葉が主流で使われていることが推測できる。

しかし、ギリシャ語だけはノイモスィニであり、これは独自の表現となっている。
多くの西洋諸国の言語は、ラテン語やギリシャ語の派生であることはなんとなくわかるが、実際にはどうなのだろうか?

なぜギリシャ語だけがノイモスィニなのだろうか?

2章 ギリシャ語とラテン語の違い

まず結論から言うと、ギリシャ語は哲学的な概念優位であり、ラテン語は実践的な概念優位であるということだ。

例えば、ギリシャとローマをふたつの文明の川と考えた場合、
思索と実践に分けると以下の表に分類ができる。

各英語がどちらから派生したかは、概念によってこのように異なっているとイメージが付きやすいのではないか。

ギリシャ(ギリシャ語) = 思索の川ローマ(ラテン語) =  実践の川
概念の性質: 物事の「本質」や「根源」を問う、哲学的・探究的な分野。概念の性質: 社会を「いかに」組織し、統治するかという、実践的・社会的な分野。
哲学 (Philosophy)
philosophia より。「知とは何か」という根源的な探究。
知能 (Intelligence)
intelligentia より。「いかに問題を解決するか」という実践的な判断力。
民主主義 (Democracy)
dēmokratia より。「理想の政治とは何か」という理念。
共和国 (Republic)
res publica より。「公のもの」としての具体的な国家統治システム。
物理学 (Physics)
physikē より。「世界の仕組みは何か」という自然探究。
社会 (Society)
societas より。人々が共同生活を営むための具体的な組織。
劇場・演劇 (Theater)
theatron より。人間の在り方を描く芸術・文化。
正義・司法 (Justice)
iustitia より。社会秩序を保つための法と、その具体的な運用。
音楽 (Music)
mousikē より。調和や感情を表現する芸術。
行政 (Administration)
administratio より。国家を運営するための実務的な管理。
知性 (Nous)
nous より。真理を直観する純粋な理性・精神。
法律 (Legal)
lex より。社会を律するための具体的なルール体系。

結論として、ラテン語(ローマ)とギリシャ語でどちらがその後どの概念に影響を与えたかは、どちらの文化がより適していたのか、という視点で大まかに理解できそうだ。 つまり、概念の性質そのものが、ローマとギリシャのどちらの「得意分野」に属していたかによって、後世に受け継がれる言葉が決まっていった、と考えることができるのだ。

つまり、西洋の”知能”はラテン語から派生しており、概念として「実践的な判断力」と理解されているのである。
人工知能とは、「人工的に作られた実践的な判断力を持つ存在」と言える。

※近年の言語学分類上、ギリシャ語もラテン語も同じ「インド・ヨーロッパ語族」であり、両者は、親戚に近い関係性を持つようだ。
さまざまな歴史的な関係性はあるがどちらかといえば、ギリシャ語の方が親に近い。ローマ帝国においては、征服したギリシャの哲学や文化思想に影響を受け、のちにギリシャ語を用いていた背景もあり、その影響は計り知れない。

世界史上、インド=ヨーロッパ語族が登場するのは、紀元前2000年から前1500年頃であり、遊牧生活をしていた彼らが一斉に移動を展開し、西アジアや東地中海、インドなどに入って新しい文明をもたらしたときである。その代表的な例が小アジアに建国したヒッタイトと、エーゲ海域に南下したギリシア人、インドに侵入したアーリヤ人である。ついでペルシア帝国を建設したイラン人、地中海世界を支配したローマ帝国のラテン人、アルプス以北でケルト人、4世紀に大移動を展開したゲルマン人スラヴ人などが登場する。かれらの源郷については不明な点も多いが、南ロシアの草原地帯(ステップ)説が有力である。

引用元:https://www.y-history.net/appendix/wh0101-022_1.html

3章  人工的とは何か?

AI(Artifical Intelligence)は言語の成立過程から見て、実践的な判断力を持つ存在であると理解できることが判明したが、人工的なという部分においても考察を加えておく。

ちなみに"Artificial(人工的な)" の派生元も、ラテン語の artificialis (アルティフィキアリス) である。

前章までで、「AI (Artificial Intelligence)」の"Intelligence"の部分が、ラテン語のintelligentiaに由来し、ギリシャ的な思索する知性よりも、ローマ的な「実践的な判断力」をその本質とすることを明らかにした。これにより、AIが言語の成立過程から見て、具体的な問題を解決するための能力を持つ存在として構想されていることが見えてきた。

本章では、残されたもう一つのキーワード、"Artificial"に焦点を当て、AIという概念の全体像を完成させたい。奇しくも、この"Artificial(人工的な)" の派生元もまた、ラテン語の artificialis (アルティフィキアリス) である。この偶然の一致は、我々にAIの本質を理解するための決定的なヒントを与えてくれる。

「人工」の本来の意味:「技術によって作られた」

まず、artificialisという言葉の成り立ちを再確認しよう。これは「技術・芸術 (ars)」と「作る (facere)」という二つの単語から構成されている。現代において「人工」という言葉は、「天然」の対義語として、どこか「偽物」「劣った模造品」といった否定的なニュアンスを帯びることがある。しかし、その語源に立ち返れば、その意味は全く異なる。

artificialisの本来の意味は、「人間の技術(ars)によって、巧みに作られたもの」である。そこには、自然には存在しないものを生み出す、人間の創造性や職人技(アート)への賞賛の念が込められている。つまり、「人工的」とは「偽物」なのではなく、「技巧的」**であると理解するのが、その本質に近い。

"Artificial" と "Intelligence" の融合

ここで、二つの言葉の語源を並べてみよう。

  • Artificial: ars (技術) + facere (作る) → 人間の技術によって作られた
  • Intelligence: inter (〜の間) + legere (選ぶ) → 物事の本質を見抜いて選び取る能力

この二つを組み合わせることで、「Artificial Intelligence」という言葉の、表層的な翻訳を超えた、より深く、一貫性のある定義が浮かび上がってくる。すなわちAIとは、

「人間の技術(ars)によって作られた(facere)、物事の本質を見抜いて(inter)選び取る(legere)能力」

である。

驚くべきことに、AIを構成する二つのキーワードは、どちらもギリシャ的な「思索」の世界ではなく、ローマ的な「実践・製作」の世界にそのルーツを持っていた。これは、AIという概念が、その誕生の瞬間から、「人間が作り出した、実践的な判断を行うための、極めて高度な道具」として運命づけられていることを示唆している。

結論:「技巧知性」としてのAI

この言語的な成り立ちから見れば、AIを人間の意識や感情の模倣品、あるいは「偽物の知能」と見なすのは、その本質からずれていると言えるだろう。「人工知能」という訳語が時に生む誤解を避けるならば、その本質は「技巧知性」と呼ぶのがふさわしいかもしれない。

それは、人間の創造性と技術力の結晶であり、特定の目的を達成するために「巧みに作られた、判断する力」である。この語源に根差した理解は、我々がAIに何を期待し、どのように向き合い、そして未来をどう共創していくべきかという議論において、揺るぎない羅針盤となるはずだ。

  • この記事を書いた人

Panda

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