最近、夜風にあたり、ギターをつま弾きながら、ふと思ったことがある。
なぜキムタクを好きな人と嫌いな人がいるのか?ということだ
本来ならば、これから始めたいビジネスや、子供の教育のことなど
もっと生産性のあることを考えなければならない大切な時期なのだが、
いまだにこの疑問が頭から離れない。
正直なところ、私はキムタクが嫌いではない。むしろ好きか嫌いかと聞かれれば、たぶん好きと答えるだろう。
しかし、私はここ10年ほど、実生活でキムタクのファンを公言する人にであったことがない。
特に女子で。
本当にキムタクを好きな女子がいないのか、私の力不足で出会えてないだけなのかはわからない。
おそらく、キムタクのファンは「実は好きだけど、黙っている」タイプが多いのではないか、と考えている。
ネット上のアンチの声があまりに大きいからだ。
もし、熱心なキムタクファンが自らファンであることを公言しないのではなく、
できないのだとしたら?
ファンは日常生活で堂々とキムタクのファンだと言えないのだとしたら、それは問題なのではないか。
間違いなく、リアルでもネット上でもキムタクのアンチは声が大きい。
実際、キムタクが嫌いということを声高に主張する人には実生活で何人も出会ってきた。
恥ずかしい話だが私の妻もその一人で、キムタクのことで口論になることも日常茶飯事だ。
キムタク嫌いな人の主張はこうだ。
少しでもキムタクの話が出ると、
「キムタクは何をやってもキムタクだから嫌い。」
「自分のことをカッコよいと思っているに違いない。」
彼らアンチが何を言いたいのかといえば、
キムタクという俳優を見ながらも、キムタクではない役柄のキムタクを見たい。ということなのだろう。常に違うキムタクを見たいというのだ。
無理がある。実に無理がある。
キムタクにだけなぜそれほどハイレベルな要求をするのだろうか。
アンドロイドならともかく、生身のキムタクに対してキムタクではないキムタクが見たいなど、
それはもはやキムタクではない。よってキムタクそのものを否定していることになる。
彼らアンチはなぜ、素直にありのままのキムタクを認められないのだろうか。
過去にキムタクからなにかされたわけでもあるまい。
そして思う。
私はただ、平和に生きていたいだけなのに。ふと日常で出会うキムタクのニュースについて
自然に語りあいたいだけなのに。どうしてこうもキムタクのことで悩まなければならないのだろうかと。
だらだらと書いてしまったが、一応結論に入らなければならない。
断っておくが、私はキムタクの熱烈なファンでもなければ、ジャニーズの関係者でもない。
(本当のファンならばこのような適当な記事を書くはずがない。)
そのうえで、私に言えることがあるとすれば、
キムタクのことが好きだとか、嫌いだとかそれはあくまで個人の嗜好の問題なのだから
アンチの人は、少しキムタク好きの気持ちに寄り添ってあげても良いのではないか
ということだ。キムタクに寄り添えと言っているわけではない。
確かに、みんなで寄ってたかってキムタクを持ち上げている世の中も、少し気持ち悪い気がする。
ただ、キムタク好きの人が、堂々とキムタクが好きと言える世の中が来ることを願っている。